●2人 ●30〜35分程度
●あらすじ
水場の情報を教えてもらうため、カトンボの部屋をたずねた蚊。ところが、カトンボの様子がなんとなく変。根ほり葉ほり蚊の行状を聞き出そうとするばかり。そして、ついには裁判を…。
●キャスト
蚊
カトンボ
●台本(全文)
中央奥にドア。ドアの両脇は黒いカーテン。
ドアの前には机が一つ、イスが二つ。
////////////////////
プ〜ンという蚊の羽音。
しばらくしてドアをノックする音。ドアが少し開き、蚊が顔を出す。
蚊 コンニチワ〜。(キョロキョロして)お留守ですかぁ〜? …いないのかなぁ…。まっ、いいか。
蚊、部屋の中に入ってくる。お腹が大きく、妊婦風。
ウキウキした感じで鼻歌っぽく。
蚊 ♪ ボウフラはみんな 生きているぅ〜 生きているから歌うんだぁ〜 ボウフラはみんな生きているぅ〜 生きているから悲しいんだぁ〜 手のひらを太陽に すかして見ればぁ〜 真っ赤に流れる ボクの血潮ぉ〜 ミミズだって オケラだって ボウフラだってぇ〜 みんなみんな 生きているんだ 友達なんだぁ〜
♪
下手より拍手。蚊、ハッとして振り向く。
下手よりカトンボ登場。
カトンボ おじょうずね。歌。
蚊 あっ、いや、それほどでも…。
カトンボ いつも歌ってらっしゃるの?
蚊 そういうわけじゃないけど…。
カトンボ やっぱり、あれ? 母親になるっていうのはウキウキするものなのかしらねぇ。
蚊 ええ…。まぁ…。
カトンボ あらゴメンナサイ、気がきかなくて。座って座って。お腹が大きいのに立ってちゃいけないわ。
カトンボ、蚊にイスをすすめる。
蚊 あっ、ども。
蚊、座る。
蚊 どっこいしょ…と。…あのぅ。
カトンボ (蚊の話をさえぎり)あっ、そうだ。ノドが乾いてるんじゃない?
カトンボ、下手に消えつつ。
カトンボ トマトジュースでいいかしら?
蚊 あっ、いいですいいです。今、お腹いっぱいなんで…。
カトンボ (ピクリと立ちどまり)…そうかぁ…そうよね。お腹の中には卵と、それから…血がいっぱいつまってるんですものね。
カトンボ、蚊のお腹に目をやりつつ、イスに座る。
蚊 ええ、まぁ…。…あのぅ、それで…。
カトンボ (蚊の話をさえぎり)何を吸ったの?
蚊 えっ?
カトンボ 何の動物の血をお吸いになったの?
蚊 アア…。ヒトです。
カトンボ (おおげさに)ヒト! まぁすごい! ねぇ、ヒトの血ってどんな味なの? おいしいの? …私わからないわ。だってほら、私たちにはそういう習慣がないから…。ていうか、普通の虫はしないじゃない。血を吸うなんてこと。…花のミツを吸うとか、朝露を飲むとか、そういうことはするけど…。ヒトの血を…吸うなんてことはねぇ…。(間)アッ、ゴメンナサイ。気にさわった?
蚊 …ううん、別に…。
カトンボ そう…。気にさわるほどのことじゃないんだ…。そりゃそうよね。あなたたち蚊にとっては、ごくフツーのことですものね…。でも不思議だわぁ〜。どうしてあなたたち蚊はヒトの血を吸ったりするの?
蚊 あっ、それはね。卵を産むためなんだ。
カトンボ ふ〜ん。…でもさぁ、私たちカトンボだって卵は産むし、ほかの虫だってみんなそうだけど、なかなかいないわよ。卵を産むために血を吸う虫って。
蚊 くわしいことはわかんないけど、栄養があるからじゃないかなぁ…。
カトンボ へぇ〜、栄養ねぇ〜。やっぱり蚊はエラいわね。
蚊 (ニッコリと)そんなことないよ。
カトンボ ううん、エラいよ。だってほかの虫がちょっとずつちょっとずつ花のミツや草の汁なめたりして栄養たくわえてんのに、蚊ときたら血とかチューチュー吸って一発で栄養補給しちゃうんだもん。できないなぁ〜私たちには…。
蚊 種類が違うから仕方ないよ。
カトンボ 仕方ない? それって血を吸えないカトンボは蚊に比べたら劣ってるけど仕方ないっていう意味?
蚊 違うよ、そうじゃなくてさぁ…。
カトンボ (蚊の話をさえぎり)あと何回吸うつもり?
蚊 えっ。…う〜ん、そうだなぁ〜、あと二〜三回は産むつもりだから、血を吸うのもあと二〜三回だね。
カトンボ 怖くない?
蚊 怖いって、何が?
カトンボ 血を吸うとき。
蚊 アア、それはあるよ。すごく怖い。
カトンボ 特に人間は?
蚊 そうそう、そうなの。人間ってすごい武器持ってるからさぁ、私の友達もこの前やられちゃったんだ。アッという間だったね。ホント怖いよ。
カトンボ そんな思いまでして、人間の血、吸わなくてもいいんじゃないの?
蚊 でもね。人間って、ほら、ツルツルしてるじゃん。吸いやすいんだよね。…数も多いし。だから手っ取り早く吸いたいときは人間狙うことが多いね。やっぱり。
カトンボ そう…。じゃあ、あなたもあと二〜三回ヒトの血を吸う気なんだ…。
蚊 まぁね。(間)そんなことよりさぁ、卵産むのにちょうどいい水場ってどこなの? ここに来たら教えてもらえるって聞いたんだけど…。
カトンボ アア、そうね。そうだったわね。水場が知りたいのよね…。
カトンボ、ゆっくりと立ち上がり、ドアの前へ。
「ガチャリ」という音。
蚊 何?
カトンボ 何って?
蚊 今の音。
カトンボ アア、鍵をかけたの。
蚊 エ〜ッ、水場の話って、そんなにシークレットなの!
カトンボ そうでもないわ。っていうか、だいたい私、そんな水場知らないし。
蚊 知らない? どういうこと?
カトンボ どういうことって、知らないから知らないのよ。
蚊 でも、ここに来れば…。
カトンボ (蚊の話をさえぎり)ゴメン。
蚊 ハァ?
カトンボ その話はウソ。作り話なの。
蚊 エエ〜ッ! そうなの? マジ? ヒィェ〜、チョーショック! 勘弁してよ。この忙しいときに。(間)でも、何でそんなウソついたわけ?
カトンボ あなたに会いたかったから。
蚊 私に?
カトンボ そう。あなたに。
蚊 何で?
カトンボ …。
蚊 変なの。とにかく、水場の話がガセだったんなら、ここにいる意味ないから私帰るね。バイバイ。
蚊、立ち上がり、帰ろうとする。
が、ドアが開かない。
蚊 ねぇ、あかないんだけど。
カトンボ そうだよ。あかないようにしたから、あかないよ。
蚊 ひょっとして、外に誰かいるの? 部屋の中に入れたくないヤツが。
カトンボ ううん。そういうんじゃないんだ。その反対。
蚊 反対?
カトンボ 中に入れたくないヤツがいるんじゃなくて、外に出したくないヤツがいるのよ。
蚊 へ?
カトンボ あなたを、外に出したくない。
蚊 私を? 何で?
カトンボ あなたの本心を知りたいの。
蚊 本心って?
カトンボ どういう気持ちで蚊をやってるかってこと。
蚊 どういうって、そんなのわかんないよ。
カトンボ じゃあ、外には出せないな。
蚊 私を閉じこめる気!
蚊、ガチャガチャとドアを開けようとするが開かない。
カトンボ 無理よ。
蚊 何でこんなことすんのよ!
カトンボ だから、あなたの本心を知りたいからだってば。
蚊 意味わかんないんですけど!
カトンボ (話題を変えるような感じで)あなた、一回にどれくらい卵産むの?
蚊 …二〜三百。
カトンボ 二〜三百! それがもし全員すくすく育ったとしたら、その二〜三百が群れになって人間を襲いはじめるんだ。アア恐ろしい…。
蚊 …あなた、ひょっとして人間の味方?
カトンボ まさか。私はカトンボよ。虫よ。人間の味方なんかするわけないじゃない。
蚊 じゃあどうして…。
カトンボ わかんないんだ…。ホント、自分勝手よね。蚊っていうのは。少しはまわりのこと考えたらどう? 思いやりとか、想像力とかないわけ?
蚊 どういうこと?
カトンボ だぁ〜かぁ〜らぁ〜、あなたがスポーンと卵を産んで、それが大量発生して、一斉に人間を襲いだしたらどうなるかってことよ。ねぇ、どうなると思う?
蚊 …さぁ。そりゃ人間だって黙っちゃいないかも…。
カトンボ そうよ。わかってるじゃない。人間だって黙っちゃいない。当然よ。血を吸われた上にカユくなるんだもん。しかも何百匹っていう蚊が押し寄せてくるわけでしょ。たまんないわよね。じゃあ、その先を考えてみて。黙っちゃいないってことは、具体的にいうと、どういうことをすると思う?
蚊 どういうことって…。そうね、クスリとか使うんじゃない。
カトンボ そうよ。正解よ。そこまでわかってるんなら、答えはもうすぐそこよ。
蚊 答え?
カトンボ エエ。見えてきたでしょ。答えが。人間がたくさんクスリをまくと、さて、どうなるでしょうか!
蚊 クサくなる。
カトンボ ちょっとズレたな…。もうちょっとその場にいるような感じで想像してみて。クスリがまかれた状況を。どう?
蚊 逃げなきゃ。できるだけ早く。だってすごく効くから。
カトンボ でしょ。で、もし逃げ遅れたらどうなるかな。
蚊 死ぬよ。もちろん。
カトンボ 逃げ遅れた蚊は死ぬんだ。そうかそうか。そうだよね。で、ほかはどうなるかな? ほかは。
蚊 ほか? ほかはないよ。逃げ切れるか逃げ遅れるか。生きるか死ぬかだもん。
カトンボ …アア、やっぱりそこまでか。(間)実はね、あなたを閉じこめてまで確かめたい本心っていうのはね、あなたに罪の意識があるかどうかっていうことなのよ。
蚊 罪、の意識?
カトンボ そう。罪の意識。もしそういうものがあるのなら、少しは情状酌量の余地もあるわけだから。
蚊 ジョージョーシャクリョー?
カトンボ うん。悪いことしてるんだっていう自覚があるんなら、ちょっとくらいはさぁ、大目に見る部分もあるのかなぁ〜って…。(小声でブツブツと)まぁ結果的にはそんなに変わらないと思うけど…。(蚊に向き直って)だから早い話、蚊には良心があるのかどうかってことを知りたいの。
蚊 それって夏休みの宿題?
カトンボ …あなた結構陽気なタイプね。
蚊 陽気? ああ、うん。そうかもね。…まぁ、それはそうとしてさぁ、とにかく、ドアあけてくんない。私、これから卵を産める水場を探しに…。
カトンボ (机をバンとたたき)どうして蚊っていうのは、そう自分勝手なの! ちゃんと話を聞きなさいよ! 事態の深刻さ、全然わかってないじゃない。(間)…どうやらこのままじゃ、いつまでたってもらちがあかないみたいね。(ニヤリとして)しかたない。法廷で決着をつけましょ。
蚊 ホーテー?
カトンボ 裁判をするの。
蚊 何で?
カトンボ あなたたち蚊のせいで、他の虫たちがすごく困っているからよ。
蚊 他の虫? 知らないよ、そんなの。
カトンボ、手帳を取りだし。
カトンボ 反省の色なし…と。
蚊 反省って言われてもさぁ〜。知らないもん、ホントに。
カトンボ ホントに心当たりない?
蚊 ウ〜ン…。ないなぁ〜。だって…。
カトンボ (蚊の話をさえぎり)証人を申請します!
蚊 誰に言ってんの?
カトンボ、気にせず、下手より段ボール箱を持ってくる。
段ボール箱の中にはペープサート(棒の先に絵のかいてある紙がついたもの)がたくさんささっている。
カトンボ、その中から一本取りだす。
取り出したペープサートには、カゲロウらしき絵。
カトンボ うん、うん。…なるほど。うん、うん。
カトンボ、絵にかいてあるカゲロウから、話を聞いているそぶり。
蚊 何してんの?
カトンボ 証人の話を聞いているの。
蚊 証人って、それ?
カトンボ そうよ。
蚊 ふざけてやってんだよね。
カトンボ ううん。マジメよ。(言い方がフォーマルになって)では、証人の証言を代弁致します。証人のカゲロウは…。
蚊 それ、カゲロウなんだ。
カトンボ そうよ。…えーカゲロウの証言に戻ります。カゲロウは、本来カラダが弱く、羽化後わずか一日の命であるにもかかわらず、精一杯生きようとしていた矢先、ただ単に蚊に似ているというだけの理由によりクスリをまかれ、結果、多数の仲間を失ったとのことであります。
蚊 自分で勝手にしゃべってるだけじゃん。
カトンボ 静粛に! (メモを取り出し)法廷をないがしろ、と。
蚊 あのさぁ、それがカゲロウならカゲロウで別にいいけどさぁ、なんでカトンボのあなたが、カゲロウの代弁すんのよ。証人なら直接しゃべるべきじゃないの?
カトンボ、書類を取りだし。
カトンボ 委任状が出てますから。ハイ。
蚊 委任状? 何それ。言いたいことあるならここに来ればいいじゃん。
カトンボ わかってないなぁ〜。カゲローさんはわずか一日の命なのよ。それをあなたの裁判なんかのために使えっていうわけ? あなたってホント身勝手ね。そんなの時間の無駄遣い以外のなにものでもないじゃない。
蚊 時間のムダだっていうんなら、こんなことこそやめようよ。
カトンボ それはできない相談。だってあなたが謝罪しないかぎり、被害者は絶対納得しないもの。
蚊 アア、謝罪すればいいわけね。いいよ。私も忙しいからさぁ、謝ればいいんなら、謝るよ。(カトンボの持っていたペープサートを取り、ペープサートに向かって)ゴメンネ。…はい、これでいいんでしょ。
蚊、ペープサートをカトンボに投げかえす。
カトンボ ダメよ。誠意が感じられない。本気で謝る気があるんなら、口だけじゃダメ。
蚊 じゃあどうすればいいの?
カトンボ (ペープサートを自分の耳にもっていき)うん、うん。そうだよね。…名前を変えてって言ってるわ。
蚊 ハ?
カトンボ そもそも「カ」っていう名前がいけないってこと。カゲロウさんも最初に「カ」がつくし、私たちカトンボだって「カ」がつくでしょ。だから、ヒト的には無意識のうちにカゲロウやカトンボのことも「あっ、蚊の仲間だ」っていうふうに思いこんじゃって、実際、ちょっと違うかなって思いつつもクスリまいちゃうわけじゃない。そういう点から言っても最低限、その迷惑な名前は変えるべきよ。
蚊 でもさぁ…。
カトンボ (段ボール箱からカマキリのペープサートを取りだし、男っぽく)オレだって迷惑してんだぞ!
蚊 誰?
カトンボ カマキリよカマキリ。彼も「カ」がつくから迷惑してるの。
蚊 …カマキリからも委任状が出てるわけ?
カトンボ ええ。
蚊 カマキリは何で来ないの?
カトンボ それは…。目立つでしょ。それに彼、結構荒っぽいから、へたするとこっちがやられちゃうし…。
蚊 じゃあ委任状はどうやって受け取ったの。
カトンボ …それは…。郵送よ郵送。
蚊 アヤシイ…。…だいたいいくらなんでも、カマキリと蚊は間違えないんじゃない? (カマキリのペープサートを自分の顔の横にもってきて)見た目違いすぎるもん。
カトンボ じゃあいいわよ。(蚊からカマキリのペープサートを奪い取り、ポイと投げ捨て)カマキリはなしで。でも、私たちカトンボとカゲロウにかけた迷惑については、絶対許せないわ。どうなのよ。「カ」っていう名前、変える気あんの?
蚊 …別に…。
カトンボ 別にって何よ、別にって。ここは法廷よ。曖昧な返事はしないで!
蚊 あのさぁ、法廷だとか証人だとか、ぐじゃぐじゃ言ってるけどさぁ、もしこれが本当に裁判なら、裁判長がいないのっておかしくない?
カトンボ フン。何よ。知ったかぶりしちゃって…。いるわよ。裁判長ならここに。
カトンボ、段ボール箱より、蝶のペープサートを取りだし、机にたてる。
蚊 (机に立てられたペープサートを見て)…ゾウ?
カトンボ 蝶よ蝶。裁判チョウよ。見てわかんないの!
蚊 ゴメン。それ羽だったのね。耳かと思ったもんだから。…あなたどっちかと言うと、絵はヘタね。
カトンボ ほっといてよ。
蚊 (蝶のペープサートをしげしげと見て)ふ〜ん…。裁判チョウねぇ…。こういう駄洒落って、どうなのかなぁ…。(間)あとさぁ、ちょっと教えてほしいんだけど、裁判長までペープサートっていうのは、ひょっとしてあれ? 蝶からも委任状が?
カトンボ そうよ。
蚊 そりゃまたどうして。
カトンボ 来る途中でつかまったのよ。
蚊 ヒトに?
カトンボ ええ、子供に。よくあることよ。
蚊 じゃあ委任状はどうやって?
カトンボ えっ? アアそれは…。虫かごのすきまからわたされたのよ。…いいでしょ、そういう細かいことは。
カトンボ、蝶のペープサートを手にして。
カトンボ 静粛に!
蚊 バカみたい。
カトンボ (手帳を取りだし)法廷侮辱…と。
蚊 もういいよ。私、帰る。
蚊、ドアをドンドンたたくが開かない。
カトンボ ムダよ。
蚊 ねぇ、ホント、怒るよ。私はね、もうすぐ卵産まなきゃなんないの。わかるでしょ。あけて!
カトンボ あなたが無実であることを証明できたらあけてあげる。
蚊 時間がないって言ってるでしょ。
カトンボ だったら急いで証明すればぁ〜。あっ、そうだ。公正を期すために、誰か弁護人をつけてもいいわよ。
蚊 弁護人?
カトンボ (段ボール箱を指さし)一匹選んで。
蚊、しぶしぶ段ボール箱に近づき、中身を見て。
蚊 アッ。これハチよね。
カトンボ ええ。
蚊 じゃあ私ハチにする。ハチ貸して。
カトンボ どーぞ、どーぞ。
蚊 (ハチのペープサートを持ち)ええっと。…オホン。私、ハチは、蚊の弁護を致します。
カトンボ あら、何よ。雰囲気出しちゃって…。
蚊 エ〜私たちハチもヒトを刺しますが、それは刺すだけの理由があって刺しているのであり、むやみに刺しているわけではないのであります。ヒトを刺す能力のある者が、やむを得ずヒトを刺したからといって、それが果たして罪と言えるでしょうか。羽のあるものが空を飛ぶように、地にもぐれるものが地にもぐるように、刺す者たちは、刺さねばならないときには刺すのです! (ハチのペープサートを置き)…どう?
カトンボ 即興にしては上出来じゃない。(蝶のペープサートに向かって)裁判長! (自分で蝶のペープサートを動かしながら一人二役っぽく)「何ですか?」「被告人の弁護人ハチに対して、質問があります!」「弁護人に質問ですか?」「ハイ」「いいでしょう。認めます」「え〜では、ハチに質問します。あなたはどういうときにヒトを刺そうと思いますか?」
蚊 (ハチのペープサートを動かしながら)それは…。えっと…。巣を荒らされたとき、かな…。
カトンボ それはつまり、自衛の手段として、という意味ですね。
蚊 …まぁ、ええ。
カトンボ 質問には、はっきり答えて下さい!
蚊 ハ、ハイ。そうです…。
カトンボ 質問を変えます。あなたはふだん、人間とどういうつきあい方をしていますか?
蚊 つきあい? えっと…。
カトンボ ハチミツはご存じよね。
蚊 ハチミツ。…甘いやつ、だよね。
カトンボ そうです。ハチはハチミツを作って人間の役に立っていますよね。
蚊 アア、そうなの。
カトンボ あなたハチよね。
蚊 アッ、そうか。…そうね。そうそう。
カトンボ しどろもどろじゃない! つまりこういうことよ。ハチだってヒトを刺すことはあるけど、それはヒトが危害を加えたときだけ。人間だって、自分の役に立つハチをむやみに殺したりしない。ハチは人間を一方的に刺したりしないし、人間もハチを心底憎んだりはしていない。要するに、人間と共存しているハチと、ただの害虫である蚊とは一八〇度立場が違うんだから、ハチが蚊の弁護をするわけはないのよ!(蚊の持っていたハチのペープサートを奪い取り、床に投げ捨て)以上です!
蚊 …でも、巣や子供を守るために刺すんでしょ。似てなくもないと思うけど…。
カトンボ 違う、違う。全然違う! (蝶のペープサートを持ち)認めます!
蚊 ズルいよ。
カトンボ どっちがよ。イメージ抜群のハチを弁護人に仕立てようとしたあなたのほうがよっぽどズルじゃない。あなたにお似合いの弁護人はハチじゃなくてこれよ!
カトンボ、段ボール箱からハエのペープサートを取り出す。
蚊 それ、ひょっとしてハエ?
カトンボ そう。あなたと同じ、嫌われ者。(ハエのペープサートに向かって)さっ、ハエさん、蚊を弁護してあげて。(ハエの役になって)オレはさぁ〜、汚いものやクサいものが大好きでさぁ〜、人間の食べ物なんかにもベタベタさわったりするんだけど、やっぱ、オレたちにはオレたちなりの仁義ってもんがあるからさぁ〜。一宿一飯(イッシュクイッパン)の恩義って言うの。家の中に入れてもらって好き勝手させてもらってるわけだからさ、食べ物ちょうだいするときには、必ず手とか合わせてるのね。礼儀として。エッ何? ヒトの血を吸うかって? (大げさに)イヤイヤイヤ。血を吸うなんて、そんなことはしないよ。そういうのは外道(ゲドウ)のすることだよ。
蚊 全然、弁護になってないんですけど。
カトンボ (蚊の話を無視して)もういいわ、ハエさん。さっ、これでわかったでしょ。エ〜ッと、(メモを見ながら)あっ、そうかそうか…。じゃ、そろそろ求刑しようかな。
蚊 キューケイ? あっ、そう。よかった。悪いんだけど水もらえるかな。ノド乾いちゃって。
カトンボ わざと、とぼけてるの?
蚊 ううん。
カトンボ (小声で)コイツ、天然か…。(蚊に向き直り)…あのね、キューケイっていうのは、悪者をどういう罪にしてほしいかを裁判長に伝えることなの。だから、あなたは、黙って聞いてればいいの。
蚊 罪…。でもさぁ…。
カトンボ (蚊の話を無視して)エ〜、被告人、蚊は、紛らわしい名称および形態で、ヒトを刺すため、善良な昆虫であるカゲロウ、カトンボ等に多大な迷惑をかけております。しかも、それを反省するどころか、さらに繁殖することをもくろみ、今まさに卵を産もうとしていることは、断じて見過ごすわけにはいかない重大な犯罪的行為であると言えます。よって、被告人、蚊に対し、殺虫罪の適用を求めるものであります!
蚊 サッチューザイ?
カトンボ そうよ。ムシを殺したツミ。サッチューザイ!
蚊 …また、駄洒落か。ふざけないでよ。
カトンボ ふざけてるのはあなたでしょ。言っとくけど、殺虫罪は、イコール極刑だからね。
蚊 ? キョッケイってことは、何をすればいいの?
カトンボ ……何もしなくていいのよ。永遠に動かなくなればいいの。
蚊 永遠に動かない…。それってひょっとして…。
カトンボ 天然ボケのあなたでも、それくらいはわかるのね。(首からかけたペンダントの写真を見ながら)そうよ、この子と同じ目にあってほしいの。…つまり死んでほしいのよ。あなたに。
蚊 ヤダよ! 絶対イヤ!
カトンボ あなた、このあいだトイレの横でヒトを刺したでしょ。
蚊 えっ? …ああ、エエ…。
カトンボ (ペンダントの写真を蚊に見せながら)そのときね、私とこの子もそばにいたの。…覚えてる?
蚊 あっ、イヤ、ちょっと…。
カトンボ そうよね。あなたたち蚊はターゲットの動きにしか関心ないんだもんね。
蚊 だって、こっちも命がけだもん、そりゃ集中してるよ…。
カトンボ でも、近づく前に、まわりの状況確認するくらいはしたっていいんじゃないの。自分以外にどういうムシが飛んでるとかさぁ、もしここでクスリまかれたらどうなるかとかさぁ。ちょっと考えればいいじゃない。違う? それが何よ。ヒト見たら、カーッと興奮しちゃってさ、しかも結局気づかれて…。
蚊 …ああ、そうだ。あの時は、吸ったあとに気づかれて…。クスリ思いっきりまかれたんだ…。(ハッとして)ひょっとして、あの時のクスリでその子…。
カトンボ そうよ。直撃よ。あなたの身代わりになったようなもんよ。…あなたはいちもくさんに逃げてったから見てないでしょうけどね。この子、アッという間に吹き飛ばされて……カベにぶつかってヒラヒラ床に落ちてった…。それでもしばらくピクピク動いてたけど、人間が近づいてきて…。(うつむいて)どうしようもできなかった…。かわいそうに…。(蚊をにらみつけ)この子が何をしたって言うの!
蚊 ゴメン。知らなかった…。
カトンボ いまさら謝ってもらってもこの子は生き返らない。だからあなたにも死んでもらうの。
蚊 (お腹をかばうようにして)ダメ。今は死ねない。
カトンボ 産みたいんだ。
蚊 わかるでしょ、この気持ち。
カトンボ わかりたくもない。
蚊 ほかのことなら何だってするから…。
蚊、カトンボの手をとろうとするが、カトンボ、蚊をはねのけ。
カトンボ あなたがしたことは、あなたが死ぬこと以外では償えないことよ。
蚊 そんな…。
カトンボ 今、あなたを殺しておかないと、また誰かがこの子と同じ目にあう。そんなことだけは、絶対させない! わかる? 私は、正義のためにやっているの。だからこれは復讐じゃない。…復讐だとしても正しい復讐。当然の権利。さぁ裁判長。判決を!(蝶のペープサートをさっと手に取り、声色で)殺虫罪で死刑! (ペープサートを投げ捨て)ほーら、やっぱりね。やっぱり正義は勝つんだ。ハッハッハッ…。あーいい気味だ。(ペンダントの写真に向かって)よかったねぇ〜。ホントによかった。
蚊 ……。
カトンボ (ニヤリと振り向き)さぁ、刑の執行よ!
蚊 どうする気。
カトンボ (蚊の問いかけには答えず、段ボール箱に近づき)さぁ、蚊のみなさん。出てきてくださ〜い。ハイ、一匹、二匹、三匹、四匹…。ずいぶんいるわねぇ〜。
カトンボ、蚊のペープサートを数本手にとり、
カトンボ プ〜ン。プ〜ン。いつ聞いても嫌な音。アア、寒気がする…。
カトンボ、ドアをあけ、外(舞台奥)に向かって、ペープサートを見せつつ。
カトンボ ここに蚊がいます! 蚊がいるんです! 誰か、誰か来て! 早くクスリを!
蚊 何やってんの! そんなことしたらあなたも死ぬわよ!
カトンボ ヘヘヘヘヘ。死んだっていい。あなたを殺せるなら!
蚊 …狂ってる。
蚊、カトンボを押しのけ、ドアから外に出ようとするが、カトンボにはじきとばされる。
蚊 キャ!
カトンボ (ドアの外に向かって)蚊がいるぞ。刺されたくなかったら早くクスリをまけ! (ペープサートを振りながら)ホーラこんなにたくさんいるんだぞ! …よしよし。やっと気づきやがった。…オーイこっちだこっちだ。急げバカ野郎!
蚊 やめて!
カトンボ うるさい!
蚊、カトンボにとびかかるが、はねとばされる。
カトンボ アッハッハッ。もうムダよ。ホラ、もうそこまで。アッハッハッ。こっちに狙いを定めた。もうおしまいだ。もう逃げられない。アッハッハッ。(蚊をにらみつけ)死ね! 吸血鬼!
蚊 あぶない!
蚊、とっさにカーテンをひきちぎり、カーテンに身をくるむと、倒れ込む。
次の瞬間。ドアの向こうが真っ白に光って、シューっという噴射音。
暗転。
////////////////////
ゆっくりと明るくなる。
舞台中央。カトンボが倒れている。
下手、床に落ちたカーテンにくるまって蚊。
カーテンの中から、ゲホッゲホッという蚊の咳。
蚊、カーテンを身にまとったまま、ゆっくりと立ち上がり、倒れているカトンボに近づく。
蚊 …大丈夫? ねぇ…。ねぇってば…。
蚊、しゃがんで、カトンボを揺するが、カトンボ、ピクリとも動かない。
蚊 死んでる…。(カトンボの髪をなでながら)…あんたバカだよ。こんなことして。…ゲホッゲホッ。(カトンボの首にかかっているペンダントを手に取り)ゴメンね。許してもらえないと思うけど、本当にごめんなさい…。
蚊、ペンダントをカトンボの手ににぎらせる。
蚊、ゆっくりと立ち上がり、自分の姿を見て。
蚊 …ゲホッゲホッ。吸血鬼か…。ホントそうだよね。血を吸わなきゃやってけないんだもん。嫌な生き物だって自分でも思う…。…でもね。
蚊、カーテンをぬぎさり、カトンボにかけてやる。
それから蚊、自分のお腹に手を当て、キッと前を見て。
蚊 でも、私、産む。だってそうするしかないもん。…みんなに迷惑かけるかもしんない、…ひょっとしたらすごく悪いことなのかもしれないけどさ。いいとか悪いとか、それは私が決めることじゃないし、決めちゃいけないと思うんだ。…今、私に決められるのは産むか産まないか、ただそれだけ。だから私は産む。(間)ほかのことはもうどうでもいいよ。(カトンボを見て)じゃあ行くね。…サヨナラ。
蚊、よろよろとドアのほうへ歩きだす。
蚊、自分に言い聞かせるように。
蚊 いい水場を探さなくっちゃ。とびっきりの水場を…。ゲホッ、ゲホッ…。(蚊、よろけてヒザをつく。息が荒い。つぶやくように)飛べるかな…。
蚊、再び立ち上がり、お腹をさすりながら。
蚊 大丈夫。心配しないで。絶対産んであげる…。
蚊、かぼそい声で。
蚊 ♪ ボウフラはみんな 生きているぅ〜 生きているから歌うんだぁ〜 ボウフラはみんな生きているぅ〜 生きているから悲しいんだぁ〜……♪
蚊、ゆっくりとドアの向こうへ消える。明かりがおちて(幕)
【引用・一部改変】
「手のひらを太陽に」作詞・やなせたかし、作曲・いずみたく