●2人 ●40分程度
●あらすじ
山中で百年に1本あるかないかという銘木に出会った匠と名人。二人は力をあわせてその木を育てようとするが…。
●キャスト
匠
名人
●台本(全文)
森。中央に青い木。その回りには数本の緑の木。
下手より匠(タクミ)登場。一本一本、木の幹を触ったり、耳を当ててみたりしつつ中央へ。
上手より名人(メイジン)登場。同じように一本一本、木の幹を触ったり、耳を当ててみたりしつつ中央へ。
やがて、両者同時に中央の青い木に気づき、駆け寄る。
匠 オオッ…。
名人 すばらしい…。
二人とも青い木に抱きつき、しばらく幹をなでたり、耳を当てたりする。
名人 間違いない!
匠 これぞ、永年探し求めていた一本。
名人 まさに、銘木中の銘木。
匠 こんなところで会えるとは…。
名人 奇跡だ。奇跡が今、目の前に!
匠、木から離れ、客席に向かって。
匠 木の魅力にとりつかれ、山に分け入り幾年月。数々の木を育て上げ、今や天下第一の「木の匠」とまで言われるようになった私ではあるが、その私でさえ、震えがとまらない…。
名人、木から離れ、客席に向かって。
名人 神様、ありがとうございます。私にこれほどの木をお与えくださるとは…。「名人」の名に恥じぬよう、この木を立派に育て上げてみせます!
匠 アア、涙がこぼれそうだ…。
名人 アア、神様仏様…。
二人、抱き合って目をつぶり。うっとりとした感じで。
匠 (名人の顔を触りながら)アア、この植物とは思えないような柔らかい感触。(匠、名人の頬を引っぱりつつ)オオッ、伸びるぞ、伸びるぞ。これほど幹が伸び縮みするとは…。きっとこれは、木の生命力が驚くほど強いからに違いない…。この木は私が育てればもっともっと伸びるぞ!
名人 (匠のお尻を触りながら)しかも、この圧倒的な質感…。隆々(りゅうりゅう)とした中にも感じられる、ふとした恥じらい…とでも言えばよいのだろうか…。芸術だ。まさに自然が生んだ芸術品だ。誰にも触らせたくない!
匠 (名人の胸を触りながら)聞こえる、鼓動が聞こえる。根から吸い上げられた養分がものすごい勢いで葉先まで押し上げられていく音だ…。なんという勢い…。そうだぁ〜もっともっと押し上げろぉ〜。
名人 (匠の耳を触りながら)オヤッ? こんなところにヒラヒラしたものが…。舞茸でも生えているのかな?
匠 (名人の鼻を触りながら)ホントだ。キノコが生えている。
名人 どれどれ、邪魔だから取っておいてやろう。
匠 そうしよう、そうしよう。大事な木の養分を吸い取られてはたまらないからな。
名人 そーれ。
匠 そーれ。
二人、互いの耳と鼻を引っぱる。
二人 イテテテテ。
二人、飛びのいて、ようやくもう一人いることに気づく。
匠 誰だ、お前は。
名人 お前こそ誰だ。
匠 私は匠だ。
名人 タクミ? あっそう。で、苗字は?
匠 あっ、イヤ、タクミというのは、名前ではなく、「木の匠」なのだ。私は。
名人 へぇ〜。
匠 で、お前は。
名人 名人だ。
匠 名人? 将棋をやるのか。
名人 イヤ、違う。名人イコール将棋というのは、ストレートすぎるだろ。私は、将棋ではなく、木を育てる「木作りの名人」なのだ。
匠 木作りの名人…。
名人 そうだ。
匠 知らんなぁ…。
名人 こっちこそ、知らないぞ。木の匠なんて。
匠 モグリだろ。私のことを知らないなんて。
名人 それはこっちのセリフだ。
匠 まぁいい。私は忙しくなるんで、とにかくあっちに行ってくれないか。
名人 そっちこそ、どこかへ消えてくれ。私はこの木を育てなければならないのだからな。
匠 この木を育てる? バカ言うな。この木は私が見つけたんだぞ。
名人 ウソつけ。私が先だろ。
匠 私が来たとき、お前、いなかったろ。
名人 いたって。…たぶん。
匠 たぶん?
名人 私は木以外は見えないし、見たくないのだ。だから、お前がいつからいたか定かではないのだ。
匠 私だって、そうだ。人間には興味がない。
名人 そうか。その気持ちはよくわかる。しかし、この木だけは譲れない。
匠 私だって譲る気はない。なにしろ、百年に一本あるかないかのシロモノだからな。
名人 私もそう思う。これは間違いなく特級品だ。
匠 どうやら、見る目はあるらしいな。
名人 (ちょっと笑って)そっちもな…。
間。
匠 (ちょっと笑って)だったら、「あとの木は全部好きにしていいから、この木だけは譲ってくれ」と言っても答えはノーだろうな。
名人 もちろん。
匠 なら、どうだろう。私の弟子にならないか。私は弟子というものをもったことがないが、お前なら、弟子にしてやってもいいぞ。
名人 この私を弟子にできるのは、木の神様だけだ。そっちこそ、いくら欲しいんだ。
匠 いくら? 金か?
名人 アア。
匠 金などいらない。この木だけが欲しいんだ。
名人 (ちょっと笑って)ガンコなやつ…。
匠 (ちょっと笑って)そっちこそ。
名人 一応聞いておくが、お前、この木をどうするつもりだ。金にかえるつもりがないのなら、趣味か?
匠 イヤ、あえて言えば使命だと思っている。
名人 使命?
匠 お前も、名人と名乗るくらいの男なら知っているだろう。世間の奴らがどのように木を扱っているのかを。
名人 アア知っている。山を削って植林し、同じ枝ぶり、同じ背丈の木を芸もなくただただこしらえていくだけ…面白い木が混じっていてもそれをみすみす雑木(ざつぼく)に変えてしまう…そんな馬鹿げたことをしているくせに、近頃めっきりいい木が減ったと嘆く…。そんなバカどものことなら嫌というほど知っているぞ。
匠 そうだ。その通りだ。だから今のご時世、人の手が入った山にはろくな木が育たない。だからこそ、このような深山にまで分け入って、モノになる木を探さねばならないというわけだ。
名人 わかっているじゃないか。
匠 あんたもな。
笑い合う二人。
間。
名人 …やるか?
匠 一緒にか?
名人 嫌か?
匠 イヤ、かまわない。
名人 よし、そうと決まったら善は急げだ。お互いの智恵を出し合って、この木を天下一の銘木に仕立て上げようじゃないか。
匠 アア、大賛成だ。
ガッチリと手を握り合う二人。
名人 で、まず、一番になにをすべきだと思う?
匠 そうだな…。一言で言うとだな、この木は可能性の塊だ。
名人 なるほど。
匠 しかし、可能性というものは、あくまでも可能性にすぎないわけで、それを誰かが上手に引き出してやらないことには花開くことなく終わるということにもなりかねないのだ。
名人 まったく同感だ。
匠 だからまず、伸びていきそうな部分を残し、伸びない部分、つまり余分な枝を切っていくことが一番だと私は思う。
名人 よく言った。まさにその通り。こういう若い木はほっておくと無駄なところに力をつぎ込んで、結局、伸ばすべき枝を伸ばしきれずに終わってしまう。だからこそ、ガサガサとした余計な枝は今のうちに切り落とす。そういうことだな。
匠 アア。
名人 お前さん、なかなかわかっているな。
匠 あんたもな。
うなずきあう二人。
名人 今まで、人と組んで仕事をしたことはないが、あんたとならやれるかもしれん。
匠 私だって同じ気持ちだ。年甲斐もなくワクワクしてきたよ。
名人と匠、各々ノコギリと脚立を持ってくる。
名人 よし、じゃあ早速。
暗転。
ノコギリの音。
しばらくして明るくなる。
青い木、下のほうの枝が切り落とされている。
名人 さっぱりしたな。
匠 アア、さっぱりした。これでとりあえず安心だ。
名人 イヤイヤ、そうとも言えないぞ。
匠 何か問題が?
名人 あるさ。まわりを見てみろよ。
匠、あたりを見回す。
匠 アア、なるほど。
名人 わかったか。
匠 邪魔な木が多いってことだろ。
名人 そういうことだ。これじゃ青い木にまるで光が当たらない。
匠 駄目な木に取り囲まれているとそれだけでもいい木にとっては害なんだが、こんなふうに日が当たらないとなると、問題は非常に深刻だ…。
名人 (ノコギリを手に)やってしまおう。
匠 そうだな。ちょっと大変だが、今のうちにやっておくべきだな。
暗転。
ノコギリの音。
しばらくして明るくなる。
青い木のまわりの木、切り倒されて切り株に。
名人と匠、切り株の上に腰をおろして休んでいる。
名人 アー疲れた。年寄りにはこたえるな…。
匠 まったくだ…。しかし、この木のためだと思えば、苦労もむしろ楽しいよ。
名人 それでこそ匠だ。
匠 イヤイヤ、こっちこそ。一心不乱に雑木を切り倒しているあんたの姿を見て、なんと言うか…初めてわかりあえる人物に出会えた気がしたよ。
名人 …しかし、なんだなぁ。(青い木を見上げて)こいつも幸せものだよなぁ。私たち二人に見いだされて。
匠 ああ、まったく、まったく。
名人 さてと、少し横にでもなるかな…。
名人、くつろぐ。
匠、下手を見て。
匠 ん?
名人 どうした?
匠、立ち上がって、遠くを見るしぐさ。
顔が曇る。
匠 …来る。
名人 何がだ。
匠 ほら、あそこ。空が黒い。(目をつぶって)いかん。急に空気が重くなってきた…。
名人 ということは…。
匠 間違いない。嵐だ。
名人 マズイな…。まわりの木を全部切ってしまったからな。風をさえぎるものが何もない…。どうする。
匠 仕方ない。添え木をしよう。
名人 名案だ。急ごう。
匠 アア。
暗転。
嵐の音。しばらく。
明るくなる。
添え木された青い木。
名人 なんとかしのげたようだな。
匠 危ないところだった。
名人 タクミさんが嵐が来るのを早めに察知してくれたから、助かったよ。
匠 なんのなんの。木のことを考えれば木をとりまく光や空気のことに思いが至る…。木に対する思いやりとでもいうんですかな。当然のことですよ。ハッハッハッ。
名人 イヤイヤ、そういう当然のことができない輩が多いんですよ、近頃は。…基本をおろそかにするっていうか…。土台ができてないっていうか…。嘆かわしいことです。
匠 …それはそうと…。(目を閉じ、耳に手を当て)こうして耳をすましていると、木の声が聞こえてきませんか?
名人 木の声? どれどれ…。
名人も耳をすます。
名人 私には、別に…。葉のこすれる音じゃ…。
匠 しっ、静かに。
木の声 コワイヨ…。コワイヨ…。
匠 ほら…。
名人 あんた、木の声が聞こえるのか…。
木の声 コワイヨ…。コワイヨ…。タスケテ…。タスケテ…。
匠 (目を閉じたまま)アア、確かに怖がってる。コワイヨ…。コワイヨ…。タスケテ…。タスケテ…。…嵐は去ったものの、恐怖心は消えていないんだ。
名人 最近とんと耳が遠くなったんで、私には聞きたくても聞こえないが、もし、ホントに怖がっているならなんとかしてやらないとな。
匠 このままだと、木が萎縮してしまう。
名人 萎縮? つまりは、伸びようとする気を失って、最悪の場合…葉を落とすかもしれない。そういうことだな。
匠 大いにあることです。また嵐が来たらどうしよう。これ以上大きくなったら次は倒れてしまうかもしれないぞ…。そうだ。大きくなることをやめて、葉っぱも全部落としてしまおう…。そうすれば強い風が吹いてきても安心だ…。と、まぁ、得てしてこんなふうに考えてしまいがちですからね、若い木は。
名人 わかります。若くていい木ほど傷つきやすいものです。
匠 しかし、成長期のこの一番大切な時に、こじんまりとまとまってしまっては、元も子もない。
名人 なんとか元気を出してもらわないといけませんな。
匠 …しかし、この子は頭がいい。生半可な励ましはかえって逆効果でしょう。
名人 その通り! 言葉じゃないんだ。もっと本当にお前のことを心配してる、私たちは君をこんなに応援してるんだよってことを具体的に態度でしめさないと。
匠 ということは…。
名人 あれですか。
匠 エエ、肥料ですね。
名人 しかも、化学肥料じゃなくて…でしょ。
匠 当然です。
名人 わかりました。やりましょう。
暗転。
ザッザッと土を掘り返すような音しばらく。
明るくなる。
地面から突き出た魚のシッポや頭。
とぐろ状の糞。あちこちに。
匠と名人、二人とも大きなマスクをしている。
匠 ふぁふふぁふぃふふぁいふぇふへ。(さすがにくさいですね)
名人 ふぁふぃ?(何?)
匠 ふぁふふぁふぃふふぁいふぇふへ。(さすがにくさいですね)
名人 ふぁふぃ? ふぁふぁふぁふぁいふぉ。(何? わからないよ)
匠、木から離れて下手へゆき、マスクをはずし。
匠 さすがにくさいですね。
名人、木から離れて上手へゆき、マスクをはずし。
名人 ああ、そういうことか…。いや、まったく…。あまりの臭さに何度も意識が遠のきそうでしたよ…。…このマスク不良品なんじゃないですか。
匠 イヤイヤ、肥料がそれだけ強力だってことでしょ。ハッハッハッハッ…オエッ…。
名人 大丈夫ですか?
匠 なんのなんの。これで元気を取り戻してくれれば、苦労も報われるってもんですよ。
名人 (しみじみと)…いつも思うんですが、本当に育てるのって大変ですよね。
匠 同感です。まっ、苦労が多いからこそ、うまく育ってくれたときの喜びも大きい、…その喜び、感動が忘れられなくて、またさらに苦労を重ねる…。そういうことの繰り返しで、この歳までやってきたわけですが…。まわりから見たらなんでそこまでって思うんじゃないかな。
名人 でしょうな。…イヤァそれにしてもクサイ…。こりゃ遠くの山までニオイが届いてるかも…。
匠 そりゃまぁ絶対…(空を見上げて)…アッ。
名人 どうしました?
匠 一匹…。アッ、あそこにも…。
匠、慌てて網を手にとり、空に飛ぶ虫を捕まえようとするそぶり。
匠 ソレッ。
匠、網で虫を捕まえたらしい。匠、網に近づき。
匠 …思ったとおりだ…。
名人 虫ですか。
匠 エエ。
名人 どれどれ。
名人、網に近づき。
名人 ややっ! こっ、これは…。
匠 間違いないでしょう。クソマダラカミキリの成虫だ…。
名人 …肥料のニオイにつられてやってきたのか…。クソッ、抜け目のないヤツ。
匠 しかも、今はちょうど産卵の時期…。これはマズイことになった…。
名人 幹に卵でも産まれた日にゃあ、中までボロボロにされちまう…。
匠 どうします。
名人 駆除するしかないでしょ。
匠 使いますか? 殺虫剤。
名人 まさか。葉を傷めるだけだ…。
匠 私も同意見です。わかりました。やりましょう。(網を手に)コレで。
名人も網を手に立ち上がり。
名人 さぁ来い! クソマダラ!
暗転。
虫の羽音。網の音。
「ヨッシャー」「トリャー」などのかけ声。
虫の羽音。網の音。
「ワッ、あっちからも…」「こっちからも…」
虫の羽音にかき消される網の音。
明るくなる。
二人、網を持ったまましゃがみ込んでいる。
名人 ダメだ…。きりがない…。
匠 使いますか…殺虫剤。
名人 イヤ、それだけは…。私のプライドが許さない…。
名人、網を杖がわりにして立ち上がろうとするが、倒れる。
名人 チクショウ…。
匠 無念だ…。もっと大きな網があれば…一網打尽にしてやるものを…。
間。
名人 網…。そうだ、網をかけよう。
匠 網を? 木に?
名人 これだけ数が多いと、クソマダラをすべて駆除するのは無理。だから逆に木のほうに大きなネットをかけて、虫の侵入を防ぐんですよ。卵さえ産まれなければ、そんなにひどいことにはならないはず。とにかく幹を守らないと。
匠 そうか、その手があったか…。
名人 急ぎましょう。一分一秒を争います。
匠 エエ。
暗転。
ガサゴソと音。
しばらくして明るくなる。
青い木全体を覆うネット。
しゃがみ込んでいる二人。
名人 年寄りにはきつい…。
匠 腕も足も、棒になったようだ…。
名人 しかし、まぁ、これで一安心でしょ。
匠 さすがのカミキリたちもあきらめたようだ…。
名人 どうです。少し休みませんか。
匠 そうしましょう。まだまだ先は長い、我々も休めるうちに休んでおかないと。
名人 では、どうですか。この山を下ったところにちょっとした秘湯があるんですが…。
匠 秘湯? それはいい。名人の隠し湯ですか。
名人 アッハッハッ。まぁそんなところです。
匠 いやぁ、嬉しいかぎりだ。鋭気を養える。
名人、立ち上がって。
名人 では、早速。
匠 よっこらしょ…と。
匠も立ち上がる。
二人、「そもそも木というものはですなぁ…」とか「不要な枝はバッサリと…」など雑談を交わしながら上手に消える。
暗転。
風の音。しばらくして暗い中で二人の声。
名人声 これは一体!
匠声 わかりません。
名人声 …それにしてもヒドイ。
匠声 とにかくネットをはずしましょう。
名人声 エエ、それがいい。
明るくなる。
葉がすっかり落ちた木。
ネットを手に茫然とする二人。
名人 ネットをしていたのに何故なんだ。
匠 葉がすっかり落ちてしまってる…。
名人 どうしてこんなことに…。そんなに風が強かったはずはないんだが…。
匠 まさかネットの重さで…。
名人 いやいや、そんなはずはない。このネットは、枝や葉を傷つけないよう研究に研究を重ね、苦労の末作り上げた特注品なんだ。
匠 じゃあ、やはり、クソマダラにやられたんでしょうか。
名人 その可能性もないだろう。クソマダラにやられても、こんなふうに葉がすっかり落ちたりはしないからな。
匠 ですよね。幹が腐ることはあっても、葉が全部落ちるなんてことは…。(間)ひょっとして…。
名人 何か心当たりでも?
匠 肥料が強すぎたんじゃないでしょうか。それで木がびっくりして。
名人 それもないよ。化学肥料じゃないんだ、自然な養分なんだから、葉が増えることはあっても、(葉を一枚拾い上げ)青いままとれてしまうなんてことは絶対あり得ない。
匠 う〜ん。風でもない、ネットでもない、肥料でもないとすると…。…陽当たりがよすぎたとか?
名人 バカ言っちゃいけない。シダや低木じゃないんだから、陽当たりが良すぎて困るなんてことがあるもんかい。
匠 でも、こうして実際に葉は落ちてしまっているわけだし…。(上を見て)アッ! あそこ。こりゃ大変だ! 見て下さいよ。木の梢を!
名人 アッ! 先っぽが取れてる!
匠 これはいけない。このタイプの木は先端の成長点を失ったら致命的。こりゃもうダメだ。この木はもう伸びない…。
名人 なんてことだ…。この道五〇年。こんなことは初めてだ…。一体どうして…。
匠 私にもさっぱり…。
名人 考えられる要因としては、巨大なシカがやってきてネットをはずし、成長点をつまみ食いした後で、角をブルンブルンとふりかざしすべての葉を落としたあげく、再びネットを元どおりにして去っていった。そんなシチュエーションしか思いつかないが、いくらなんでもそんなことが起こり得るだろうか…。あるいは子ザルが集団でやってきて…。アア、そのほうがあり得るかもしれないな、なにしろサルは手が器用だし、イタズラが大好きだから…。
間。
名人がああでもない、こうでもないと喋っている横で、匠、腕組み。
おもむろに木の幹を触って、ハッと気づいた様子。
もう一度、確かめるように木の幹を触って。
匠 これはひょっとして…。イヤ、間違いない。これはネットや肥料や虫やシカやサルのせいじゃない。そんな外的な要因じゃない。
名人 どういうことです。
匠 幹を触ってみて下さい。
名人 (幹に手を当て)…別に。
匠 硬くないですか。
名人 まぁ木だからね。そこそこ硬いもんだろ。
匠 それに冷たい。
名人 まぁ木だからね。血のかよってる哺乳類とは違うだろ。
匠 それに動いていない。
名人 何が言いたいんだ! 当たり前だろ。植物が動いたりするもんか!
匠 イエ、私が言いたいのは、この木が…なんと言うか…葉がないとか、成長点がないとかいう以前に、…既に死にかかっているんじゃないかってことです。
名人 ハァ? いきなり枯れたって言うのかね。
匠 エエ、正確に言うと、枯れたと言うよりは枯らした…ような。
名人 誰が?
匠 木が。
名人 木が? 枯らした? 何を?
匠 自分を。
名人 自分を? 木が自分で自分を枯らしたって言うのか。
匠 エエ、自分の意思で。
名人 あり得んよ。そんなこと。
匠 そうでしょうか。
名人 つまり何かい。植物は意思を持っていて、環境の良悪に関係なく、その意思に基づいて、育つこともできるし、逆に枯れてしまうこともあると?
匠 あると思います。
名人 バカバカしい。木だけに気が滅入ったとでも? じゃあ聞くが、木にそれだけの高度な精神性や意識があったとして、これだけ世話してやったっていうのに、一体何が不満だったんだよ。
匠 …それは…よくわかりませんが…。ただ、この木は私たちが思っていた以上に繊細な木だったんじゃないでしょうか。
名人 くだらない。いくら銘木でも木はしょせん木だ。良い条件を揃えてやれば良い方向に伸びる。逆をすればダメになる。ただそれだけのことで、断じてそれ以上でもそれ以下でもない!
匠 そうでしょうか。私にはそうは思えない。それに、あなただって、「若くていい木ほど傷つきやすいものです」って言ってたじゃありませんか。
名人 あれは物の喩えだって。比喩だよ比喩。木には感情なんかないんだ。だからそういう面をあんまり考えすぎないほうがいいんじゃないの。もっとクールになろうよ。お互いプロなんだからさ。
匠 でも、木の声が聞こえてこないのは事実です…。
名人 アンだって? 木の声? そう言えば、あんた、嵐の後も木の声がどうのこうのと言ってたな。あの時はちょっとコイツ変だぞと思いつつも話を合わせてやったがね。この際だ、はっきり言うが、木に声なんかない。口がないんだから声なんか出さないんだよ!
匠 そんなことありませんよ。耳をすませば聞こえるもんです。
名人 空耳だよ空耳。
匠 いいえ、私には聞こえます。
名人 あんた妄想癖があるんじゃないか。
匠 あなたこそ、名人とまで言われた人にしては、ちょっと木に対する思い入れが浅いんじゃないか。
名人 フン。(侮蔑の態度。匠のマネをしつつ)コワイヨ…。コワイヨ…。タスケテ…。タスケテ…。あり得ません。シンジラレナーイ。
匠 ふざけないでくれ。私はマジメに言ってるんだ。聞こえたままを。確かにこの木は言ったんだ。コワイヨ…。コワイヨ…。タスケテ…。タスケテ…と。
名人 (さらに侮蔑の態度で)コワイヨ…コワイヨ…。あんたの態度が一番コワイヨ…。タスケテ…タスケテ…。誰かこの人をタスケテあげてぇ〜。
匠 私の態度のどこがコワイんだ。私はただ真摯に木のためだけを思って…。この木をタスケルことだけを考えて…。
匠、急に何かに気づいたかのような表情。
青ざめて。
匠 …そうか。そうだったんだ。
名人 なんだよ。急に反省すんなよ。わかればいいんだよ。わかれば。
匠 違うんだ。そうじゃない。全部逆だったんだ。
名人 おいおい、マジで大丈夫か。
匠 ああ、なんてことを! すべてが初めから違ってたんだ。
名人 だから何がだよ。
匠 あの声、あの声のイミですよ。
名人 まだ言うのか、お前本当に…。
匠 落ち着いて聞いて下さい。私たちはこの木に何をしました?
名人 何をって、世話をしたに決まってるだろ。まわりの木を切って陽当たりを良くしたし、無駄な枝は切り落とした。嵐が来る前に添え木をしたし、肥料もやって害虫対策も講じた。だからなんだって言うんだ。
匠 …おそらく、そうした一切合切。我々が良かれと思ってやったことすべてがこの木にとってはストレスだったんですよ。だから、自らの意思で葉を落とし、先端を潰した…。そうは考えられませんか。
名人 まさか、そんな。我々がこんなに精魂込めて世話をしたのに、それがストレスになっただなんて、絶対ありえない!
匠、名人の声には耳をかさず、目をつぶって幹に耳と手を当てる。
それからコツコツと幹を叩き、やがてうつむく。
しばらくして木から離れ。
匠 これは、やっぱり私たちのしたことのせいです…。
名人 これだけやってやったのに、これ以上何を? 何が足りない? イミがわからんよ。一体何が不足だったと言うんだ?
匠 不足? むしろ逆でしょ。…多すぎたんです。そして重すぎた。
名人 何が言いたいんだ。ネットのことなら説明しただろ。あれは木に優しい特注品で、しかも全然重くなんかない!
匠 …重かったのはネットじゃない。きっと一番重かったのは、私たちの期待、大きすぎた期待だったんですよ。
名人 期待が…重かった?
匠 そうです。ネットが重かったんじゃない。肥料がきつすぎたんでもない。添え木の具合がしっくりこなかったわけでもない。たぶん、私たちがしたひとつひとつの作業は間違ってなかった。対応としては完璧だったはずです。けれど、やっぱり重かったし、きつかったし、しっくりこなかったんですよ。この木にとっては。それは、そのいちいちが、この木が自ら望んだことではなかったからです。
名人 一体、どうしたっていうんだ。急にそんなに感傷的になるなんておかしいぞ。あんただってプロだろ。プロはプロらしく、どんな状況になっても冷静に…。
匠 プロ? プロって何ですか。…私はただただ悔しいんです。「もうやめてくれ」という声を聞き漏らしていた自分が。
名人 そんな声聞こえなかったろ。
匠 イエ、聞こえてました。
名人 ウソつけ!
匠 嵐のあと、「コワイヨ…。コワイヨ…。タスケテ…。タスケテ…」と言っていたあの声。あれは嵐が恐かったんじゃなかったんだ。あれは、私たちがどんどん介入して、無理矢理姿形(すがたかたち)を変えようとしていることが恐かったんだ。それで…。「コワイヨ…。コワイヨ…。タスケテ…。タスケテ…」と…。…つまり、この木は、私たちに向けて、「もうやめてくれ」と言ってたんです。
名人 曲解だろ。そんなの。
匠 いいえ。そうに違いありません。恐怖と不安を与えたのは私たちです。この木はそれに耐えられなかった。それで冷たく固まってしまったんだ。(間)…あそこで気づいてやっていれば…。…悔やんでも悔やみきれない…。
名人 中途半端でやめておけばよかった。イヤ、そもそも放っておけばよかった。我々のしたことはすべて余計なお世話だった。あんたはそう言いたいのか。
匠 かもしれません。…たぶんそうでしょう。
名人 弱音を吐くのもいい加減にしてくれ。少しは話のわかるヤツかと思っていたが、見損なったよ。それに、万が一、あんたの言う通りだったとしてもだ、それはそれで仕方のないことじゃないのか。誰にだって失敗はある。神様じゃないんだからな。肝心なのはそこから何を学び、どう次に活かすかだろ。枯らして覚える。木を扱う者にとってそんなことイロハのイじゃないか。
匠 枯らして覚える? …そうなのかもしれません。けれど、私たちがこの失敗からいくら多くのことを学んだとしても、この木はもう元に戻らないでしょ。あなたにとっては数ある失敗のひとつかもしれないが、この木にとっては永遠に取り返しのつかない失敗なんじゃありませんか。
名人 数ある失敗とはなんだ! 失礼だぞ!
匠 やめましょうよ。この木の前でこれ以上言い争いたくない。
名人 …なるほどね。それがあんたのやり方か。
匠 どういう意味ですか。
名人 失敗したら、悲しそうな顔をして、それですっかり水に流すって魂胆なんだろ。うまい責任逃れを考えたもんだ。
匠 バカな。
名人 白旗を挙げてバイバイするならどうぞどうぞ。だがな、こっちはプロ中のプロだ。プロとして最後まで全力をつくしてみせる!
匠 これ以上何ができるって言うんです。
名人 いいから黙って見ていろ!
名人、大きなノコギリを手にする。
暗転。
ノコギリの音。
明るくなる。
切り倒され、切り株になった青い木。
その切り株の上には、林檎の木が乗っている。
匠 ヒドイ…。こんなことをして何になるんだ…。苗木でもないのに、林檎の木を接ぎ木するなんて…。
名人 幹は枯れたかもしれないが、まだ根は生きているはず。だからせめてその根を活かして役に立つ木にしてやるんだ。うまくいけば、青い林檎ができるかもしれない。青い林檎の木。どうだい。
匠 バカな…。
名人 何がバカなんだ。
匠 諦めて下さい。この木はもう死んでるんです。わかりますか。さっき幹に耳を当てたとき、気づいたんだ。どんどん木が木でなくなっていく感じに。今はもう…上から下まで、幹も根も全部死んでいるはずです。
名人 切り落とした幹はともかく、根がそんなにすぐ枯れるもんか。
匠 だから、この木は自分で枯れたんですってば。自殺したんですよ。この木は。
名人 作り話はいい加減にしてくれ。
匠 作り話じゃない。見ろ!
匠、林檎の木を軽く押す。
林檎の木、倒れる。
名人 何をする。
匠 見てご覧なさい。この切り株を。
名人 …これは。
匠 石化してる。石のように硬くなってしまってるんだ。これはもう木じゃない。石です。
名人 石…。バカな。こんな短時間で…。何故だ…あり得ない。
匠 これでわかったでしょ。私たちは石を作ったんです。これはそのまま青い木のお墓ですよ。
名人 …。
匠 (木に手を合わせて)さぁ、あなたもせめて供養を…。
名人 …イヤだ。私は諦めない。諦めたら終わりだ。たとえ石になったとしても、それでも何か使い道があるはずだ。だから私は諦めない。
匠 まだわからないんですか。この木が役に立つかどうかより、まず、私たちが木の役に立ったかどうかを考え、反省するべきじゃないんですか。
名人 うるさい! 負け犬は去れ。
匠 言われなくても行きますよ。もうこれ以上あなたのプライドに振り回されるのはまっぴらだ。(下手へ去りつつ、一旦立ち止まって名人を振り返り)最後に一言だけ言っておきますが、これ以上、死者に鞭打つようなまねだけはやめて下さいよ。
名人 フン。余計なお世話だ。さっさと消えろ。
匠 救われない人だ…。あなたは確かに名人かもしれないが、「木作りの名人」じゃない。「石作りの名人」です。何もかも石に変えてしまう。
名人 うるさい。お前こそなんだ。いいわけばかりしやがって。「木の匠」が聞いてあきれるわい。これからはキはキでも、「責任ホウキの匠」と名乗ったらどうだ。
匠 もういい。二度と会いたくない。
匠、下手へ去る。
残った名人、下手に向かってツバを吐き。
名人 情けないヤツめ。まぁいい。あんなヤツ、一生くよくよメソメソしてればいいんだ。私は最後まで責任をまっとうするぞ。名人の名人たるゆえんは、ピンチをチャンスに変えられるところだからな。考えればきっといいアイデアが浮かぶはず…。(間)…そうだ!
暗転。
明るくなる。
切り株の上に、鉢植えが置いてある。
名人 ハッハッハッ。どうだ。さすがだろ。台座にしてやったぞ。台無しになりそうだった木が、自分で台になりやがった。ハッハッハッ。こいつは傑作だ。これで青い木も本望だろうよ。ハッハッハッ。
名人、上手へ去る。
残った切り株と鉢植えにスポット。
何かきわめて激しい音楽。
次第に暗くなって。(幕)